MEMBERメンバー

作る・使う・直す。
三位一体のものづくり

高橋一真Kazuma Takahashi

A.W.L.M.の立ち上げメンバーの1人であり、木工のことは道具から機械まで幅広い知識を持つ高橋一真さん。メンバーも製作で悩むことがあればまず高橋さんに相談する、A.W.L.M.の先生のような存在です。同じく協力隊(特産部)として働く妻の彩希衣さんと、当時生まれたばかりの娘さんと共に上松町にやってきたのは2017年のこと。それまでに培った木工やステンドグラスの製作技術や、上松技術専門校で学んだ家具製作のいろは、そして協力隊で経験したたくさんのことやこれからのことについて話を聞きました。ものづくりをする上で、常に高橋さんが大切にしているのは「古き良きもの・技術を後世に残したい」という強い思いでした。

高橋一真Kazuma Takahashi

1982年京都府京都市生まれ。アンティーク家具の修理やステンドグラスを扱う専門店にて工房長を務め、2017年に上松技術専門校に入学。2018年より上松町地域おこし協力隊木工部の初期メンバーとして活動している。現在はふるさと納税の返礼品製作のほか、上松技専の生徒に向けた勉強会なども企画し、後進の育成にも力を入れている。一級家具製作技能士。2020年、職業訓練指導員免許取得。

人との出会いで感じた、自分が望む生き方。

高橋一真さんが木工というものに初めて触れたのは30年ほど前、小学生の時に遡ります。地元から少し離れた町の公民館で行われていた木工教室でした。

「そこにはおじいちゃん、おばあちゃんばかりで若い人は全くいなかったので、とてもかわいがってもらったのを覚えています。教えていた先生は、かつて飛行機を作っていたという人で、何を聞いても答えてくれるすごい人でした。こういうのが作りたいと相談すると、その場で図面を引いて作り方のアドバイスをくれて。僕にとっての最初の木工の師匠。作りたいものを、ゼロから形にするという経験ができたことはすごく大きかったです」。

小さい頃から手先が器用だった高橋さんが、将来の進路を決める時に選んだのは飲食業界。そして数年後、働いていた店舗が閉店するのをきっかけに日本一周の旅へ。

「手先が器用なことに加えて、料理も好きだったので飲食の仕事に就きました。でも24歳の時に、店舗が撤退することになって……。昔から海外に行ってみたい、日本一周してみたいという夢があったので、このタイミングで行こう!と決意しました。なかなか一歩踏み出せていなかったのが、行くしかなくなったので、ある意味いいタイミングだったのかもしれません。結果、約1年半かけて日本を巡りました。」。

バイクで日本一周の旅に出た高橋さん。住み込みで働いた北海道の居酒屋で店の改装を手伝ったり、四国のお遍路に挑戦したり、熊本・阿蘇で彩希衣さんと出会ったり。この旅を通して強く感じたのは、人との縁の大切さ、そして生き方に正解はないということだったと高橋さんは語ります。

「たくさんの人がいて、たくさんの人生があるということを、当たり前だけど実感したんです。当時はスマホもなく、今ほどインターネットが発達していなかったのもあって、行きたいところへ行くにも地図を見て、迷って、違うところに着いてしまったり、道を聞いた住民の人に『それよりこっちのほうがおすすめだよ』と地図にも載っていない場所を教えてもらったりと、寄り道しながらの旅だったことも良かったですね。今は調べたらすぐに答えが出て、ゴールに向かって一直線に、最短距離でいけるけど、迷いながら、人と交流しながらの旅はとても刺激的で自分に合っていたと思います。そこで自分のこれからの生き方についてもすごく考えさせられました。これから日本一周しようと考えている若い方には、ぜひスマホを解約してから出かけることをおすすめします(笑)」。

楽しい人たちとの出会い、そして生涯の伴侶との出会いを果たした日本一周の旅を終え、故郷の京都へ帰ってきた高橋さん。手にした求人雑誌で目にとまったのは「古いものを直して使い続ける」という一文でした。

「旅から戻って仕事を探していた時、偶然開いた求人広告に、アンティーク家具の修理を行っている会社が載っていて、古い椅子の写真と『古いものを直して使い続ける仕事……』というような言葉が書かれていたんです。なぜかその言葉がすごく響いて、元々ものづくりに興味があったし、挑戦してみようと思い働くことになりました」。

遠回りして気づく、楽しさと学び。

「はじめはステンドグラスの修理や加工がメインでした。働いてしばらく経った時、ステンドを教える指導者向けの教室があったので参加したんです。そこでは、絵付けといわれる専門的な技法を3年ほどかけて教わりました。当時は、自分がどのくらいの技術力があるか分からず仕事をしていましたが、教室に行ってみて、基本的な部分は遜色なくできていることを実感しました。あの時は、日本で一番ステンドグラスを触っていたんじゃないかなぁ。とにかく数をこなしていたので、ちゃんと技術も伴っていたという自信になりました。この間久しぶりにガラスを切りましたが、ちゃんと体が覚えていて安心しました」。

ステンドグラスだけにとどまらず、それを入れる窓枠や衝立(ついたて)の製作、さらには家具の修理、建具の修理、店舗什器など、あらゆることに携わっていた高橋さん。さらには知り合いの工房を間借りし、個人的に木工品の製作も行っていたといいます。

「仕事でものづくりはしていましたが、自分のものを作りたいという思いもあって休日に工房を借りて作業していました。子供椅子やちゃぶ台、お皿など、興味のあるものを作ったり、個人的に頼まれた木枠や衝立を作ったり。道具の大切さに気づいたのはこの頃かもしれません。会社には必要な道具はありましたが、やっぱり自分の手道具が必要だな、と感じて道具を買い始めました。自分のものを持ってみると、どうしたらもっと使い勝手が良くなるか調べたり、人に聞いたりしてちゃんと研いで使おうという気持ちになるんですよね。最初の頃は道具選びの基準もわからないので、中古のものを買っていました。もちろん状態が悪いので、何が悪いのかを見て、それを直すところから始まるんです。これがすごく勉強になっていたと思います」。

すぐに使える状態の新品ではなく、誰かの手を通ったクセのある道具を直す。それは高橋さんが日本一周の旅で感じた「遠回りの楽しさ」に通じているものがあるのかもしれません。

「会社で自分の役職が上がっていく中で、もっと木工の知識や技術を学びたいと思うようになりました。手加工の基礎から教えてくれる学校を探していて見つけた上松技術専門校に見学に行ったのは、実際に仕事を辞める3年ほど前。そしてまた時が経ち、子供が産まれました。その4ヶ月後、家族を連れて上松町に越してきたんです。今考えればよくついてきてくれたなぁ……と。感謝しかないですね」。

手にしてわかる本物の良さを伝え続けたい。

「技専では、手道具の使い方、手入れの仕方から始まり、手加工の基本、機械加工の基本、グループ製作、個人製作と、1年間でみっちりと基礎から応用を学びました。ものをつくるうえで僕が意識していたのは『壊れた時に修理ができるか』『メンテナンスがしやすいか』『長い間使い続けられる構造か』ということ。アンティークを修理していた自分の経験からくる学びです。最後の個人製作では、学校にある一番大きいタモ材を使ってダイニングテーブルを作りました。展示即売会で、そのテーブルを買ってくれた人のトラックに詰め込んだ時はなんとも言えない気持ちになりました」。

卒業を控え、独立を考えていた高橋さんの中に、町の地域おこし協力隊という選択肢が生まれました。町の新たな挑戦として、技専の卒業生を協力隊の木工部として受け入れることが決まったのです。

「同期で、上松に残りたいけど残る場所がないという話もあったので、そういう場所づくりができたらなぁという思いは大きかったですね。町の人が誇れる町、好きになれる町。そこにつながる活動が地域おこしなんじゃないかという話を、着任前に小林くんとも何度も共有しました。ものづくりを通して住んでいる人が町を好きになれるきっかけを作りたい。その想いで協力隊に入ることを決めました。あと、独立して木工をやっていく前に、自分のものづくりに対する気持ちを見つめ直し、こだわってものを作れる期間になるかもしれないとも考えていました。とはいえ最初の1年間は工房整備の毎日。ゴミ捨て、床の貼り直しなど、あらゆることを自分たちの手で行ったのですが、前の職場でいろいろな仕事をやらせてもらった経験や知識が役に立ちましたね」。

3年間の活動の中で大切にしてきたことは、長く使えるいいものをつくること、いい技術を後世に伝え残すこと。アンティークに携わってきた高橋さんが目指すのは、100年後も残るものづくり。

「作る人、使う人、直す人、そして受け継ぐ人。全ては繋がっていて、どれかひとつが欠けても成り立たないんですよね。自分がいま大切に使っている道具も、後継者不足でいつ買えなくなるかわからない。簡単になんでも手に入る時代だけど、職人さんが一つひとつ手を加えた道具を使うと、その違いがわかるはずなんです。それぞれの良さや違いを、実際に感じてもらう。そうやって伝えることで、いいものが残り続ける世の中にしたい。技専生との技術交流会や、協力隊メンバーとの勉強会も、そういう想いからきている活動です。ものづくりと並行して、人生をかけて続けていきたいことのひとつなんです」。

いいものを自ら生み出すのはもちろん、いいものと人を仲介する役目を果たしたい。人との縁を大切にし、遠回りに見える道の中にある、貴重な体験を大切にしている高橋さん。今だけでなく、未来のことを考えたものづくりの姿勢には、自らの経験からくるぶれない信念がありました。

写真:池田昌広  文:宮原未来