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地元・木曽を
サウナでつなぐ。

宮原未来Miki Miyahara

A.W.L.M.唯一の女性隊員として器の制作や地域をあげてのイベント企画に向けて日々奮闘しているのが、宮原未来さん。以前は東京で10年間、雑誌や様々な広告媒体で編集者兼ライターとして働いていたという異色のキャリアの持ち主でもあります。いずれは木曽平沢にある家業の木工製作会社を手伝うべく、その足がかりとして地元からもほど近い上松技術専門校に入校したのは2019年。大胆なキャリアチェンジを経て木工に携わることになった彼女の根底にあるのは、離れたからこそ魅力に気づいた故郷・木曽のために何かしたいという思いでした。

宮原未来Miki Miyahara

1987年長野県塩尻市生まれ。高校卒業後、ファッション系専門学校を経て、2011年からはテレビ雑誌の記者として活動。2014年以降は編集プロダクションに所属し、編集、ライターとして様々な雑誌媒体や広告媒体に関わる。2019年に上松技術専門校に入校し、翌年上松町の地域おこし協力隊に着任。漆や器づくりを学ぶほか、テントサウナによるまちおこし企画などの実現に向けて準備中。

立ち止まって考えた、働くこと、故郷のこと。

「上松町でテントサウナをすることで、地域の大自然の素晴らしさを地元の人に、そしていずれは地域外の人に伝えていきたくて」。そう話す宮原未来さんは、2020年から協力隊の一員としての活動を始めました。テントサウナとは、薪ストーブが設置された専用テントの中で楽しむアウトドア型のサウナ体験のこと。湖畔や川沿いなどに張ったテントの中で身体を温め、そのまま自然の水風呂とも言うべき湖、川へ。その後大自然に囲まれて外気浴を楽しむところまでが体験の醍醐味です。「自然の恵みを五感で感じられる」と彼女自身が魅せられたこのテントサウナを切り口に、上松地域の魅力を内外に伝え、守っていこうというのが、現在の彼女の活動の大きな軸となっています。

宮原さんが生まれ育ったのは、漆器で名高い木曽平沢地区。実家は木工と漆器の製造所を営んでいます。幼い頃からさぞ木工に親しんだ生活をしていたかと思いきや、「昔は正直、家業がどんなことをしているかあまり知りませんでした(笑)」と宮原さん。進路として選んだのも全く別の道でした。

「小・中学生の時から、自分が褒められるものと言えば作文でした。当時は本を読むのもすごく好きだったので、漠然と文章を書く仕事をしてみたいなという思いがありましたね。田舎にいるのが嫌で、“都会に出たい”という気持ちもあったのですが」。

高校卒業を機に上京。ファッション系の専門学校を経て、テレビ情報誌やカルチャー誌、広告媒体の編集者兼ライターとして約10年間キャリアを積んでいきました。着実にスキルをアップさせ、できる領域を広げていく一方で、同じ仕事を続けていくことへのぼんやりとした不安もあったのだそう。

「ある程度のスキルや自信もついていく一方で、仕事は精神的にも肉体的にもハードで、向いてないんじゃないかと感じることもありました。30歳を越えてこれからの人生を考えた時に、所属していた会社から独立して同じ仕事を続けていくかどうか、身の振り方を悩んでいました」

それと同時に、故郷や家業への思いも少しずつ変化していたのだといいます。

「地元の木曽平沢では、毎年6月に『木曽漆器祭』という地域をあげた祭りがあるんです。毎年その時期になると帰って家の手伝いをしていたのですが、年々少しずつお客さんが減ったり、売れ残る商品が増えていったりと、廃れていく様が見てとれて。当時は編集者として色んな企画を立てる仕事をしていたので、自分のスキルを使って何か別の視点でこの現状を打破できないものかという問題意識もありました。姉も同じように編集の仕事をしていたので、協力しながらできることはないのかなと考えるようになりました。手始めに、木曽ひのきのオイルを使ったルームスプレーの商品開発という、木工とは別の視点から木曽をPRできるものを作ってみたんです。これが好評だったのもあり、やってみようという気持ちになりました」

出会えたのは、ものづくりに真っ直ぐな仲間。

今後のキャリアと、苦境を強いられる家業や産業、地域の現状。その二つの壁に直面し、モヤモヤと次の一歩を考えあぐねる彼女の背中を押したのは、同僚が教えてくれた1冊の本でした。

「同僚が、著述家・山口周さんの『天職は寝て待て 新しい転職・就活・キャリア論』という本を教えてくれて。そこには“キャリアチェンジを悪いことだと思わなくていい、できることが一つから二つに増えるだけ”というような内容が書いてありました。それがその時、自分が心から求めていた言葉だったような気がして、すごくしっくりきた。編集の仕事という基盤があるなら、もう一つできることを増やしたらいいんだと。それで思い切って長野に帰って家業のことに真剣に向き合おうと思ったんです。そしてその第一歩として思い立ったのが、木工を一から学ぶことでした」

根底にあったのは、“職人になりたい”ではなく、“家業や故郷を盛りたてたい”という思い。そのために、ものづくりとはどんなものかを学びたいと、新たな道への挑戦を決めました。

2019年、宮原さんは故郷からもほど近い上松技術専門学校へ。入校した彼女を待っていたのは、これまでと全く異なる環境でした。

「編集や執筆って、誰かの素晴らしい活動を、より魅力的に発信することが求められていて、いわば『1』を『10』にする仕事なんです。一方で木工は、『0』を『1』にする仕事。ただの1枚の板から全く新しいものをつくる作業は、頭の使い方がそれまでと全く違っていて。自分の不器用さも痛感したし、苦労ももちろんあったけれど、その違いがすごく新鮮で面白かったんです」

そして中でもこの場所で得られたのは、素敵な仲間たちとの出会いでした。

「みんな、すごく木工が好きなんだなと。授業時間であろうとなかろうと、常にものづくりをしているし、ものづくりのことを考えている。その熱意に刺激をもらえたと同時に、こんなふうにつくることに真っ直ぐで、情熱に溢れた人たちと一緒に仕事をしたいんだという気持ちを自覚できました」。

地元の人に地域の魅力を知ってほしい。

上松技専での1年間を終えて決めたのは、地域おこし協力隊として上松町に残る選択でした。もともとは家業に専念するために学んだ木工。なぜ新たに3年間、協力隊の一員として活動する道を選んだのでしょうか。

「もう少しだけ学ぶことができる環境に身を置きたかったのが、大きな理由です。木工はもちろんですが、それだけに留まらず、地域や街単位で面白い場づくりや企画にも挑戦してみたかった。協力隊での3年間が、いずれ家業に入って故郷の漆器祭や木曽地域全体を盛り立てていく活動にプラスになるのではと思ったんです」

晴れて上松町の地域おこし協力隊の一員となった宮原さん。技専時代に興味を持った器づくりや漆の勉強を続けつつも、テントサウナによるまちおこしに力を注ぎ、様々な準備を進めています。

「私自身、田舎や自然の魅力に気づくきっかけをテントサウナからもらいました。はじめて知ったのは、東京で働いていた頃、サウナ好きの友人に山梨までテントサウナに連れていってもらった時。湖に飛び込んで、外気浴をするという一連の体験から、大自然の恵みを全身で受け取ることができて、これは都会ではできない究極の贅沢だなと感じたんです。田舎に住んでいた頃には気づかなかった自然の魅力に気づくことができましたし、それを気づかせてくれるテントサウナの素晴らしさを知りました。だから私自身がそう感じたように、上松町でテントサウナをやることで、大自然に囲まれた環境こそが最大の魅力なんだということを、住んでいる人にも感じてもらいたいなと思っています。ましてや上松町には赤沢美林という木曽ヒノキの原生林があって、森林浴発祥の地とも言われています。そんな豊かな自然が残った場所の魅力を、地域の人にもっと気づいてもらえたらなと」

それゆえ、まず見据えるのは地域の人たちにその魅力を知ってもらうこと。2020年の活動はまず、テントサウナを購入するために町役場を説得することから始まりました。そして2張のテントを入手することができた現在はイベントの開催に向けて様々な準備を進めています。

まずは地域の人が参加できるテントサウナのイベントを定期的に開催したいと思っています。気軽に体感してもらえる機会を増やすことが大事なので、手ぶらできてもらえるように、タオルやガウンなどのレンタル用品を用意して、サウナ仲間を地元に増やしたい。さらに、培ってきた木工の技術を使って、サウナの中で使うベンチや外気浴をする時の椅子やすのこ、バケツなどをつくって、上松のサウナグッズブランドも立ち上げられたらいいなとも考えています」

そして、彼女が見据えるのはやはり地域全体のこと。

「大自然は、上松だけでなく木曽地域全体の魅力でもあります。ゆくゆくは、“木曽でサウナをやるのが最高だよね”と認知され、地域の内外から多くの人が行き交うようになればいいなと。ひいては地域の木工産業の活性化にも繋がっていけば嬉しいですね」。

一度離れたからこそ、生まれ育った土地の本質的な魅力を再発見し、テントサウナをツールに人と地域、地域と地域をつなぐ活動をはじめた宮原さん。10年のキャリアで培った編集者としての目線、そして彼女を軸に繋がる木工の担い手たちの技術が結集し、木曽地域に新たな賑わいをもたらされる日もそう遠くはなさそうです。

写真:池田昌広  文:福島絵美