MEMBERメンバー

木工も、音楽も
大切なのは“グルーヴ”

小島博樹Hiroki Kojima

A.W.L.M.メンバーの中でも、ものづくりのアイディアにあふれ、新しいことに挑戦し続けている小島博樹さん。その人柄からか、町内の方たちとも仲が良く「小島さん、いる?」と工房を訪れる人も。何気ない会話の中で製作の依頼を受けることも多く、頼りにされていることがわかります。そして小島さんといえばそのギターの腕前。休憩中はギター片手に美しい音楽を奏で、メンバーを癒してくれます。音楽と木工、その全く違う道を両立させる小島さん。いつも自分自身と向き合い、本当にやりたいことはなんなのか問い続ける姿勢には、学ぶところが多くありました。

小島博樹Hiroki Kojima

1976年愛知県東海市生まれ。中学時代に音楽と出会い、バンド活動を続ける。2005年にトイレメーカーに入社し開発部門で実験評価や設計を担当する。2017年に上松技術専門校へ入校し、翌年岐阜県高山市の工房に入社。2019年、上松町地域おこし協力隊に着任し、返礼品づくりや町民を対象にしたDIY教室の実施などに力を入れている。二級家具製作技能士。

ロックなことはなんでもやった中高生時代。

「こんなものをつくりたい」。頭に浮かんだらすぐに手を動かし、次々と製品を生み出していく小島博樹さん。でも、実は彼が木工の道に進むことを選んだのは40歳を目前にした2017年のこと。それ以前の小島さんの人生は、音楽一色といっても過言ではないものでした。

野球少年だった小島さんがギターを始めたのは中学一年生の時。イカ天のバンドブーム真っ只中に、JUN SKY WALKER(S)を見たことがきっかけでした。野球部でキャプテンを務めながらもギターの楽しさにハマっていった小島さん。高校では部活動に入らず、校外でバンド仲間を募ってバンド活動を始めました。スポーツ刈りだった髪を伸ばして革ジャンを羽織り「“ロックなこと”はなんでもやった(笑)」と当時を懐かしみます。そして、その後の人生も音楽を中心に進んでいきました。

「いろんな仕事をしてきましたが、生活の中心にあるのは全てバンド。週2日の練習ができる仕事、突然ライブやツアーの予定が入っても休める仕事。そんな感じで、ずっと音楽をやるために働いていました。でも20代後半の時、当時メジャーを目指して活動していたバンドが解散することに。それをきっかけに自分がやりたい音楽の形と向き合いました。僕がやりたい音楽はメジャーではない。好きな音楽を、ずっと楽しくやり続けたいんだと気付いたんです。と同時に、好きなことを仕事にする難しさも実感しました」

音楽が好きな人間にとって、メジャーにいくことが必ずしも幸せとは限らないと語る小島さん。好きな音楽を好きなようにできなくなったり、義務で音楽をするようになったり、バンドマンにはそのジレンマが必ずあるといいます。

「僕はマイナーな音楽シーンでずっと音楽を続けていけたらよかった。そんな時周りを見たら、みんな自分なりの音楽活動を続けるため、真剣に仕事にも向き合っている人ばかりだったんです。やりたい形でバンド生活を続けるために、自分も手に職をつけようと決めました」

楽しく音楽をするため、木工の世界へ。

バンド解散を機に人生と向き合い、ものづくりを生業にしようと決めた小島さんは、設計を学ぶために29歳でトイレメーカーの開発部門へ派遣社員として入社。仕事のいろは、ものづくりの考え方など、基本的な仕事の仕方はすべてその会社で教えてもらったといいます。そしてその頃、仕事とは別の形で木工を始めることになりました。

「もともと家の棚を作ったり、家の近くのホームセンターにある加工室でちょっとしたものを作ったりと、自分の手でものを作ることは好きだったと思います。33歳くらいの時、隣町で木工教室が開かれていると聞いて通い始めたんです。建築の職人さんがやっている教室で、僕は木のカバンを作っていました。この木のカバンが先生たちにも好評で、『売ってみたら?』と言われたので、名古屋で開かれていたクラフトフェアに出してみることにしたんです」

自身のブランドを「nandai bolsa」と名づけ(2020年「nandai design」に改名)、その後も月に1〜2回、イベントでカバンや小物を出品しました。週末は木工教室に通い技術を磨き、イベント前は仕事後に夜通し作品を作ってはイベントに出店……、そんな生活を続けること数年。

 ▶nandai bolsa ホームページ(外部リンク)

「ある年のクラフトフェアで、隣のブースでスツールを出しているおじさんがいたんです。クオリティの高いスツールだったので、どこかで学ばれたんですか?と聞いたら、木工の専門学校があることを教えてくれたんです。それで技術専門校の存在を知って、調べてみたら愛知県にある学校はすべて廃校。近場だと長野県上松町にあると知り、ちょうど応募期間だったのですぐに応募しました」

イベントで木工品を出品していると、机や椅子といった家具の製作を依頼されることも多くあったといいます。当時は知識も経験もないためその度に断っていた小島さんでしたが、とても悔しかったと語ります。しっかりと家具の知識も学んでどんなオーダーにも応えられるようになりたい。その想いで上松町にやってきました。

「サラリーマンのストレス社会からやってきたので、毎日がとても楽しかったです。毎朝木曽駒ヶ岳が見える学生生活。こんな贅沢なことがあっていいのだろうか、と日々感謝していましたね」

上松技専入校当初は、木のカバン職人として独立しようと考えていました。しかし技術を学ぶうち、また同期の仲間と語り合ううちに、カバンにこだわらず、広く木工を扱えるようになりたいと考えるようになりました。そんな小島さんが就職先に選んだのは、岐阜県高山市にある工房。そこは住み込みでみっちり働くという昔ながらの職人さんが営む家具工房でした。

「自分にはとても合っていたと思います。はやく一人前になりたかったので、大変だけどとにかく技術は身につくだろうと。親方からは『わからないことは自分で考えて、試す。それを繰り返すことで自分のモノになる』という考え方を教えてもらいました。それが今の自分にとって大きな財産になっていますね。でも入社して1年でその親方が亡くなり、工房を閉めることになってしまいました」

その時、技専時代の同期で協力隊として活動していた高橋一真さんから、次年度の協力隊として参加しないかという連絡が。自分の木工技術を試しながら、独立に向けての準備もできるとてもいい環境だと思い、応募することを決めました。

町の人にも、ものづくりの楽しさを伝えたい。

同期の高橋さん、小林さんが着任した一年後、小島さんも協力隊として活動を始めることに。現在、活動の中で特に小島さんが力を入れていることの一つにDIY教室があります。

「僕自信も木工教室に通っていたからわかるんですが、自分の力で何かを作り出せるっていうのはすごく自信になるんですよね。作っているときも楽しいし、作ったものを眺めていても楽しい。そういう場所が町の中にあるといいなぁと思ったので、町に提案して実施させてもらえることになりました」

これまでにプランターやカホン(打面が木製の打楽器)づくりに挑戦してきたDIY教室。うまく作ることより、楽しく自分の力で作ることを大切にしています。参加者から町中で「先生!」「次回も応募したよ」と声をかけてもらえるようになったことが一番嬉しいと語ります。

協力隊のほかに、「nandai design」としての活動も続けていて、2020年には初の個展も開催しました。この個展で見せたいものは何か、自分が本当に作りたいものは何かを考え、答えを出すまでにすごく時間がかかったといいます。

「普通にテーブルや椅子といった家具を展示することも考えましたが、ワクワクしなくて。そこで、いろんな人のものづくりのスタイルを見ている中でちょっと変わっているけど今自分が一番作りたいものに辿り着きました。協力隊2年目の今だからやりたかったことができて、満足しています」

せっかくいいものでも、一年遅れたらいいものじゃなくなるかもしれない。タイミングを逃したくない、と小島さん。

「この感覚は音楽をやっていて身についたものかもしれないですね。これだ、と思った時に具現化したい。そのための技術とスピード感が必要だと思うんです。僕の中で音楽と木工って似ている部分があると思っていて。僕が音楽をやっている時に大切にしているのはグルーヴ感なんです。バンドメンバーとセッションしながら音を重ねていく感じ。これ、実は木工やっている時にも感じています。作っている時、こっちのデザインの方がいいかも、と思ったらすぐその場で変えていく。作りながらどんどん変えていくんです。そうやってその場のグルーヴを感じながら作っている時はいいものが生まれる予感があります」

ものづくりで悩んだ時は、とにかく手を動かしながら、やりながら考え続ける小島さん。どんなものを作りたいか、この製品で自分が表現したいことは何か。そこだけ最初にしっかり考えて決めたら、あとはそのゴールに向かっていろんな方法を試していく。

協力隊としてのものづくり、DIY教室の実施、そして自身のnandai designでの製作と盛りだくさんな小島さんの毎日。残りの協力隊活動期間、そして将来の夢とは。

「将来やっていきたいものづくりのひとつは、福祉に役立つ木工品づくり。お年寄りが日々の生活で不便を感じていることを少しでも助けられるような、細かいニーズに答えられるものを作りたいんです。僕はいわゆるセンスがある木工家ではない。音楽をやっていると本物の天才と自分の違いというのは客観視できるようになるんですよね。だから自分はセンスで勝負するのではなく、ニーズがあるものを、しっかり作って喜ばれたいという想いが強いです」

町の人から依頼を受けて家具を作ることも多い小島さん。どんな依頼も面倒くさがらず真摯に向き合っているのは、自分自身を理解し、求められていることに応えたいという想いの強さからきているものでした。

「卒隊後、どこでどうやって生きていくかまだわからないところは多いですが、木工も音楽も両立してやっていきたいですね。この2つが僕自身を作り上げているものだと思うので。ある占い師曰く、僕は50歳からめちゃめちゃいい人生らしいんですよ(笑)。だから40代は仕事をいっぱい頑張って、50歳から仕事と音楽がある生き方をしていけたらいいな、と思っています」

自由で楽観的なように見えて、頭の中は常にフル回転でものづくりに向き合っている小島さん。音楽と木工という2つの武器で自分らしい生き方を突き進んでいくことでしょう。

写真:池田昌広  文:宮原未来